絶対に盗聴されない技術が、武器に変わるとき
前回まで自民党と公明党が国会閉会中に強行している武器輸出解禁の与党協議、そしてその受け皿となりうる東芝などの防衛産業について書いてきましたが、今回はもう一歩踏み込んで、東芝が世界の最先端を走る「量子暗号通信」という技術を切り口に、デュアルユース(民生・軍事両用)技術の問題、官民癒着、そして憲法第九条の精神との関係を考えてみたいと思います。量子暗号通信(QKD:Quantum Key Distribution)とは量子力学の原理を利用して理論上「絶対に盗聴できない」通信を実現する技術であり、光子の量子状態を使って暗号鍵を共有するため第三者が観測しようとすれば必ず痕跡が残り盗聴がただちに検知されるというもので、東芝はこの分野で長年研究を重ね、量子ドット単一光子源を用いた長距離量子暗号通信の実用化において世界をリードしてきた企業の一つであり、ケンブリッジの研究拠点を中心に英国・欧州・日本で実証実験を重ね商用サービスにも乗り出しているのですが、これは本来、医療データや金融取引、行政情報といった機微なデータを守るための極めて平和的で価値のある技術であるはずです。しかしここに大きな問題が横たわっており、量子暗号通信は典型的なデュアルユース技術——民生にも軍事にも使える技術——だという事実があり、絶対に盗聴されない通信は市民の医療情報を守ると同時に軍隊の作戦指令を守ることにも使え、外交電文を保護する技術はそのまま戦闘部隊間の暗号通信にも応用可能であって、米国・中国・EU・日本——量子暗号は今や各国が国家安全保障の観点から熾烈な開発競争を繰り広げる「戦略技術」になっており、武器輸出解禁の与党協議が進む中で問われるのは単に「殺傷能力のある武器」を輸出するかどうかではなく、その武器を支える先端技術——量子暗号、AI、半導体、センサー——がどこまで「武器」として扱われるのかというより広い射程の問題なのです。東芝が誇る量子暗号技術がいつのまにか防衛装備庁の管理下で「安全保障関連技術」として位置づけられ同盟国との軍事協力のパッケージに組み込まれていく——そのシナリオはもはや絵空事ではなく、ここで前回も触れた「官民癒着」の構造が改めて重い意味を持ってきて、防衛省・経産省・防衛産業企業・自民党国防族議員——この緊密な結びつきの中では本来は民生用に開発された技術も政策的に「防衛技術」へと再定義されていきやすい構造があり、経済安全保障推進法のもとで「特定重要技術」に指定された分野には政府からの研究開発支援が手厚く投じられる一方、輸出や情報公開には厳しい制限がかけられ、量子暗号はまさにこの「特定重要技術」の中核に位置づけられる分野であって、研究費は国から流れ技術は防衛と一体化し企業は国の方針に組み込まれていく——そしていざ武器輸出が解禁されればこうした技術を組み込んだ装備品が「日本製の安全保障パッケージ」として海外に売られていくことになります。防衛省OBが防衛産業企業に天下りし、企業は政治献金やパーティー券で政治家を支え、政治家は企業に有利な政策を進める——この循環の中で純粋に学術的・民生的だったはずの先端技術がいつのまにか「死の商人国家」の道具に変えられていく危うさを私たちは直視する必要があり、憲法第九条が問うているのは単に「自衛隊を持つかどうか」「武器を作るかどうか」というレベルの話ではなく、この国が暴力とどう向き合うのかという根本的な姿勢であって、量子暗号という技術それ自体は決して悪ではなくむしろ人類の知の到達点であり平和的に使われれば市民のプライバシーや民主主義のインフラを守る大きな力になるのですが、問題はそれを誰がどんな目的でどんな手続きで使うかであり、憲法改正の手続きを経ずに国会閉会中の与党協議で武器輸出解禁が進められる——その同じ構造の中で量子暗号のような先端技術が「いつのまにか」軍事転用されていくとすれば、それは九条の精神を実質的に骨抜きにする行為に他なりません。「武器を作らない国、輸出しない国」という戦後日本のブランドは「平和的にしか先端技術を使わない国」というブランドと表裏一体であり、その両方を同時に失おうとしている今、立ち止まって問わなければならないのは技術の話ではなく私たちがどんな国でありたいのかという話であって、前回も紹介した東芝の元社員・海老根弘光さんの「自衛のためではなく、他国を攻撃するものならばつくりたくない」という若い世代から生まれている声は量子暗号のような先端技術の現場でも確実に共有されているはずで、研究者にも技術者にも労働者にも自分の仕事が何を生み出すのかを選ぶ権利があり、会社の方針に黙って従うのではなく自らの労働の意味を問い直す——その声が積み重なっていくことが官民癒着の歯車に砂を撒くことにつながるのだと思います。量子暗号は文字通り「光」を使った技術であり、光子という最小単位の光が人類に絶対の秘匿性をもたらす——それは本来希望の象徴のような技術であるはずで、その光を戦場の指令系統を守るために使うのか市民の医療データを守るために使うのか、輸出して同盟国の武器を強化するのか人類共通のインフラとして共有するのか、選ぶのは技術そのものではなく政治であり企業であり最終的には主権者である私たち国民であって、「死の商人国家」への道を選ぶのか、それとも先端技術を平和のために使う国であり続けるのか——憲法第九条が問い続けているのはまさにこの選択であり、声を上げる市民、現場を知る研究者・労働者、報道するジャーナリスト、追及する議員——その連なりの中で量子暗号の「光」を光のまま守るための議論がもっと広く深く交わされていくことを願います。
Comments
Post a Comment