化学的快楽
あの頃の記憶は、今振り返るとひとつの長い霧の中にいたように感じる。20代の自分は、麻薬という化学物質に完全に支配されていた。最初は興味や快楽だったものが、やがて生活の中心になり、思考も感情も現実も、すべてが曖昧になっていった。
身体は確実に蝕まれていた。頭の中では幻聴が響き、現実と妄想の境界は消えていた。自分がどこにいて、何をしているのか、何が本当なのかも分からない。ただ、次の快感だけを求めていた。やめようという意思は存在せず、金が続く限り続けることが当たり前だった。
その生活の中で、多くの人と関わり、多くの時間を消費していったが、そこに本当の意味での繋がりや充実はなかった。ただ流れていくだけの時間だった。生きることの意味など考える余地もなく、ただ刺激に身を委ねていた。
やがて限界は訪れる。幻聴は強まり、精神は崩れ、ついには自分の意思とは関係なく病院に連れて行かれた。身体を拘束されるという現実は、それまでの生活の終点を象徴していた。あの瞬間、自分は完全に壊れていたのだと思う。
転機は意外にも単純だった。金が尽きたこと。強制的に断たれた環境が、結果として薬から距離を置くきっかけになった。自分の意思ではなかったが、そこから少しずつ現実が戻ってきた。
今こうして振り返ると、あの時期は確かに苦しく、重く、取り返しのつかない時間にも思える。しかし同時に、人間がどこまで堕ち、そしてどこから戻ってこられるのかを知った時間でもある。
記憶は消えない。だが、それは過去として置いておくことができる。あの経験があったからこそ、今の自分は「正常」という状態の価値を理解できる。
快楽に支配された日々ではなく、自分で選択できる日々。その違いは決定的だ。
あの頃の自分は、確かに存在していた。しかし、今の自分はそこから抜け出している。この事実だけは、どんな過去よりも強い。
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