軽率の果てに見えたもの

あの時、女に「子供が出来たかもしれない」と言われた瞬間、頭に浮かんだのは愛でも未来でもなかった。現実だった。収入もない、責任も取れない、その重さだけがのしかかってきた。

振り返れば、あれは軽薄だった。言葉も、行動も。酒や空気に流されるように、深く考えずに性行為に至った。そこにあったのは、本当の意味での「愛」ではなかったのだと思う。

結果として、子供は出来ていなかった。安堵だったのか、それとも別の何かだったのか、自分でも整理はつかなかった。ただ一つ言えるのは、あの経験が自分の中に強く残ったということだ。

愛していなかったわけではない。ただ、麻薬に溺れた状態でのセックスは、判断を鈍らせる。感覚は鋭くなるようでいて、本質からは遠ざかる。現実を見ているつもりで、実は何も見えていない。

 


 

 

その後もしばらくはコンドームを付けなかった。どこかで甘さが残っていたのだと思う。ただ、子供が出来ることへの恐怖は消えず、外に出すという中途半端な選択を繰り返した。

やがて気づいた。愛とは、衝動ではない。責任と覚悟を伴うものだということに。

それからは、性行為そのものに対する考え方が変わった。ただ欲求の延長で行うものではない。感情が伴い、相手を思い、自分の行動の先にある結果まで引き受ける覚悟があるときにだけ成立するものだと、そう信じるようになった。

あの一件は、何も残さなかったようでいて、確実に自分の中に何かを残した。軽率さの代償として得たのは、重さを知るということだった。

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