ゴルフ ― 自分に向き合う、という競技

 

悔しかった。

入らない、飛ばない、家族のように上手くならない。3歳の頃からクラブを握って、毎日のように練習しても、上達するどころか、自分の欠点ばかりが目についた。

飛ばす人が、かっこよかった。 パターを決める人が、かっこよかった。 そして、それができない自分が、ただただ悔しかった。

怒って、クラブを投げたこともある。

子供だった。

父に言われた。

「怒るな。感情的になるな。意識を向ける方向を変えろ」

ヘッドアップしないこと。スイングのクラブの軌道。メンタル ― いわゆる精神性。体づくり、ラウンド、練習。その全部をやって、初めてスコアが出る。

頭ではわかった。 でも、できなかった。

だから、打った。

死ぬほど打った。練習場で1日500発。毎朝、毎日。指の皮がむけても、腕が上がらなくなっても打った。

スコアのため。上手くなるため。誰かに認められるため。

そう思って、打ち続けていた。

ある日、気づいた。

「あれ、自分、ゴルフが好きなんだ」

好きだから、やっている。 好きだから、500発打てる。 だったら、スコアに出なくてもいいんじゃないか。

そう思った瞬間、自由になった。

肩の力が抜けて、クラブが素直に振れるようになった。「上手く打たなきゃ」が消えて、「打ちたいように打つ」になった。

それが、自分のプレーだった。

今が、一番いい。

スコアじゃない。飛距離でもない。誰かと比べた上手さでもない。

自分に向き合うプレー。 自分のリズムで、自分のスイングで、自分のコースを歩く。

ゴルフって、結局そういう競技なんだと思う。

ゴルフ、やる?

一緒に回ろう。教えるとかじゃなくて、ただ並んで歩いて、それぞれの一打を打つ。 それだけで、たぶん十分いいラウンドになる。

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