金で動く政治に、もう用はない

 

選挙のたびに思うことがあります、「この一票に本当に意味があるのだろうか」と。選挙が近づくと自民党の人たちが家に挨拶に来て、公明党の人たちも投票してください投票してくださいと頭を下げて回り、その姿だけを見れば誠実そのものに見えなくもないのですが、いざ蓋を開けてみればどうでしょう、政治資金パーティーの裏金問題で名前が挙がってくるのは、まさにその挨拶に来ていた人たちなのです。マニフェストに掲げた約束はいったいどこへ行ったのか、実行された形跡はほとんど見当たらず、口ばかりが達者で行動が伴わない——そう感じている有権者は決して少なくないはずで、自民党は金で投票数を稼いでいると言いたくなる場面があまりにも多すぎて、裏金、パーティー券、不記載、虚偽記載といった言葉の数々は、もはや単発の不祥事ではなく構造そのものが腐っているのではないかと思わせ、金で動く政治は有権者一人ひとりの信頼を踏みにじる行為に他ならず、応援する気にもなれませんし、こうした実態を知ってしまうと選挙に行く気力さえ削がれていくのです。横浜市政にも似たような構図を感じていて、かつての高秀市長も挨拶に来ればこちらの言いなりでしたが、その理由は単純で、過去に自民党の支部長を務めていた縁があったからであり、私の祖父は地域のみなが暮らしやすくなるようにと考えて支部長を引き受け、多くの金を動かした結果として政治資金をめぐって逮捕され、保釈金を払って釈放されたという過去もあり、今思えば時代の慣行とはいえ決して褒められたことではないものの、当時の祖父には祖父なりの「公のため」という信念があったのだと思います。ひるがえって今の政治家たちはどうでしょうか、公のため、地域のため、国のためと胸を張って言える行動を本当に取っているのか甚だ疑問で、正直なところ「おじさん達、何やってんの」という一言に尽き、挨拶に来るときは深々と頭を下げ、当選すれば裏金の名簿に名前が載り、マニフェストは絵に描いた餅、説明責任は果たさず、不起訴になればそれで終わり——これで国民に「政治を信じてください」と言える神経が私にはどうしても理解できません。政治への信頼は言葉ではなく行動でしか積み上がらず、一度失われた信頼を取り戻すには想像以上の時間と誠実さが必要ですが、それでも棄権してしまえば現状を追認することになってしまうので、腹立たしさを抱えながらも見続け、考え続け、声をあげ続けること——それが踏みにじられた信頼に対するせめてもの抵抗なのかもしれず、おじさん達、そろそろ本気で何やってるのかを自分自身に問い直してほしいと心から思います。

 



 

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