真実と向き合うということ
かつて、自分はダニに食われながら眠った夜があった。
食べるものもなく、たった50円で一日をやり過ごした日もある。
缶詰だけで生活する家族の中で、自分という存在の意味を問い続けた。
その中で、自分を見失った。
何が正しく、何が真実なのか分からなくなった。
気づけば、魂を売り渡したような感覚に包まれていた。
それは比喩ではなく、自分の信じていたもの、拠り所にしていた信仰心を裏切る行為だった。
真実の心を守るために、逆にそれを隠し、偽りの中へと身を投じた。
だが、ある時はっきりと理解した。
真実とは、貧困ではない。金でもない。
そこに「愛」があるならば、
人を測る基準など存在しないはずだ。
人は見かけで判断する。
しかし、その判断はどこまで本質に触れているのか。
誰が、お前の一番恥ずかしい部分を知っているのか。
誰が、飾られた表面ではない本当の姿を見ているのか。
誰も見ていない。
だからこそ問う。
自分で気持ちがいいか?
自分で作り上げた自分を見て、心から満足しているか?
自分を本当に大切にしているか?
自分自身を理解しているか?
そして何より、
心の底から自分を信じることができるか。
人は演じる。
優しさを演じ、正直さを演じ、理想の自分を演じる。
しかし、その裏で事実を知っている世界に対して、
どこまで隠し続けることができるのか。
真実は消えない。
すべては真実の上に成り立っている。
もし真実を恐れるならば、ここから去ればいい。
恐れに従い、自分が作り上げた群像の中で生きればいい。
だが、真実と向き合う覚悟があるならば、
そこには逃げ場はない。
それでも進むしかない。
なぜなら、
真実の心だけが、最後に残るものだからだ。
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